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第57話 六時間の例外

last update publish date: 2026-10-23 21:48:31

第57話 六時間の例外

「第二便を予定どおり待てない。六時間以内に、少なくともあと二百人を出す必要がある」

有馬の声が途切れたあとも、通信機からは強い雑音が流れ続けていた。北辰統合区の東棟では暖房主管が破裂し、吹き出した温水が床へ広がった直後から凍り始めているという。応急的に区画を閉鎖したものの、行き場を失った住民を中央棟へ詰め込めば、二酸化炭素濃度の上昇と感染症の拡大を避けられない。

しかも、外気温はすでに氷点下九十七度を下回っていた。柏木の予測では、八時間後に氷点下百五度へ達する。暖房主管の破裂がなくても、北辰が現在の設備だけで全区画を維持できる時間は短かった。

恋は北辰から送られてきた施設図面を開き、東棟から中央棟へ続く配管を確認した。簡略化された図面でさえ、破損箇所の前後を閉じるだけでは複数の居住区が暖房を失うことが分かる。

「有馬さん、東棟に残っている人数と、移動が難しい人の内訳を送ってください。それから、破損箇所の映像が必要です。燃料を出すだけで解決できる問題なのか、先に確認します」

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    第56話 十二万リットルの人質御厨の放送が終わっても、食堂に集まった者たちはすぐには口を開かなかった。壁際の石油ストーブが低く燃え、天井付近を通る温水管がときおり金属の収縮音を立てている。昨日までなら聞き流していたはずの小さな音が、今夜は燃料の残量を数える時計の針に思えた。橋本は放送の途中から書き始めていた数字を、白板の中央にもう一度大きく記した。百二十万ではない。十二万リットル。それでも、暖房用のポリタンクを頭に思い浮かべた者にとっては、現実味のない量だった。「念のために言っておきますが、これは灯油のポリタンクを六千個ほど並べた量です。重量だけで百トン近い。御厨が明日の夕方までに寄越せと言っているのは、倉庫の隅に置いてある予備を分けてくれという話ではありません」橋本は白板の数字を囲み、手袋を外さないままマーカーを置いた。物流会社にいた頃なら、これだけの燃料を動かすにはタンクローリーの確保から運行計画、受け入れ先の設備確認まで、複数の部署が何日もかけて調整したはずだった。ところが御厨は、そのすべてを恋の右手ひとつで飛び越えようとしている。「北辰の六百二十七人を移すために、本当にこれだけ必要なのか」真壁は折れた左手の人差し指を固定したまま、右手で資料をめくっていた。傷口の腫れが残る顔で細かい数字を追う姿は痛々しかったが、休めと言われて素直に寝ていられる男でもない。「向こうにいた間、車両置き場は何度か見ました。大型バス、除雪車、資材運搬車、装甲を追加した警備車両、それに暖房用の燃料槽がある。全住民を一度に運べる台数ではないから、往復を前提にしていたはずです。ただし、十二万リットル全部が住民輸送に必要かと聞かれれば、俺は違うと思う。移転後の拠点を維持する分と、警備車両を動かす分まで含んでいるでしょう」「だったら渡すべきじゃない」誰かが低い声で言うと、それまで黙っていた住民たちの間から、押し殺していた言葉が次々にこぼれた。「燃料を渡して、その車でここを襲われたらどうするんだ」「でも、あそこには子供だっているんでしょう。昨日ここを出た人たちもいる。自分で選んで出ていったんだから知ら

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    第55話 敵の車で命を運ぶ 北辰統合区の車列は、避難所へ近づかず、南へ進み続けた。 三台の大型車両は等間隔を保ち、先頭車が吹きだまりを崩し、後続車がその轍をなぞっている。車体後部に積まれた居住用の断熱箱からは弱い熱が漏れていたが、人間が乗っているほどの温度ではない。内部を凍結させないため、最低限の暖房だけを動かしているようだった。「この先で南へ向かえる幹線道路は二本あります。一つは山間部の発電所方面、もう一つは研究施設を経由して、旧食品工業団地へ抜ける道です」 相馬が地図へ二本の線を引いた。右足の凍傷は軽度だったが、真帆から外出を禁じられているため、椅子に座ったまま監視に加わっている。「いまの位置で進路を変えなければ、研究施設へ向かう道ですね」 恋は監視画面の車列と地図を見比べた。 研究施設には、榊原と皆川を含む生存者が残っている。研究用の種子は複数の拠点へ分散させたが、生きた培養組織や発芽試験中の種は施設内に残されていた。それらは右手の異空間へ入れられない。異空間の内部では時間が止まり、物品は劣化しないが、生きた細胞は生存できないからだ。 北辰の車列が、研究施設の人員と培養物を運ぶためのものなら、三台の断熱箱にも意味がある。「北辰は、次の寒波が来る前に研究施設を回収するつもりでしょう」 柏木は新しい気象予測を机へ置いた。「現在の外気温は零下九十二度ですが、寒気の本体はまだ北西にあります。最も早い予測では、三十六時間後から急降下が始まる。研究施設の外壁は厚いものの、暖房設備は一系統しか残っていません。零下百度を下回れば、故障していなくても出力が足りなくなる可能性があります」「連絡は取れますか」「研究施設との専用周波数を試します」 小野寺は右手の指先へ保温材を巻いたまま、通信卓へ座った。病院での作業による凍傷は軽かったものの、富美子と真帆から休むよう言われている。それでも、通信の設定だけはほかの者へ任せられないと医務室を抜け出し、後で必ず戻るという条件で監視室へ来ていた。 数回の呼びかけの後、雑音の中から榊原の声が返ってきた。

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    第54話 開いた扉の向こう側『白川恋だけが、あなた方に北辰を敵だと思わせています』 御厨の放送が途切れたあとも、食堂に集まった者たちは受信機を見つめ続けていた。 機械はすでに沈黙し、表示灯だけが一定の間隔で明滅している。それでも、誰かが口を開けば、自分の本音まで周囲へ知られてしまうような息苦しさが残っていた。 北辰統合区は、銃口ではなく選択肢を向けてきた。 六百人以上が暮らす大規模な共同体、暖房設備、医師、警備員、配給制度。武器を置いて北辰へ来れば、過去の所属を問わず受け入れるという。御厨が約束を守り、真壁たち六人を実際に返した直後だからこそ、その誘いには無視できない重みがあった。「北辰へ行きたいと言ったら、本当に止められないんですか」 食堂の後方から、若い男が尋ねた。 杉浦達也という元配送員だった。災害発生後、近隣の集合住宅から保護され、物資運搬や雪かきに加わってきたが、恋や評議会と親しいわけではない。これまで大きな不満を訴えたこともなかった男が、人々の間を抜け、机の前まで出てきた。「今すぐ出ていくと言っているわけじゃありません。ただ、北辰には六百人いるんですよね。ここより設備も人手も多い。御厨という人のやり方が気に入らないとしても、あちらのほうが生き残れる可能性が高いと考えるのは、間違っているんでしょうか」 誰かが小さく舌打ちした。「真壁さんたちを人質に取った連中だぞ。そんなところへ行くのか」「ここにいたって、十日以内に攻められるかもしれないんでしょう」 杉浦は声を荒らげなかったが、引き下がりもしなかった。「俺は兵士じゃない。白川さんに助けてもらったことには感謝していますし、仕事を割り振ってもらったことにも不満はありません。でも、北辰と戦うためにここへ来たわけではないんです。生きられる場所がほかにもあるなら、どちらを選ぶか考えたい。それを裏切りと言われたら、俺は何のために生き残ったのか分からなくなる」「北辰へ行けば、ここの内部情報を全部話させられる。お前一人の問題では済まないんだ」 別の男が椅子から立ち上

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